金浦空港からはソウル駅行きではなく、何故か仁川空港行きの鉄道に乗車。
途中で乗り換えをはさみ、やって来たのは仁川駅。
日本の旧国鉄の駅舎に雰囲気がよく似ています。上野駅の小型版みたい?
1960年建築にしてはクラシカルな趣だと感じましたが、どうやら1930年頃の建物を基に、1960年に建築(改築?)したようです(確証は取れませんでした)。
この駅舎は古くて手狭な事から、建て替えが計画されているようです。
しかし、湾曲したガラス面を多用する何処でも似通った建物になるのなら、旅情のあるこの意匠を残した方が良いのに、なんて個人的には思ってしまいます。
こちらの車両形式はよく分かりませんが、「311000系」でしょうか。
「311000」系と同じ番号が振られていますが、顔付きがかなり異なります。
ソウル市内の鉄道駅は殆どにホームドアが設置されているため、車両の写真を撮りにくいのですが、ここは柵だけなので撮りやすいです。
しかし、やって来るのがこの二種類ばかりなので、撮り鉄はあっさり終了。
仁川は、それまで小さな港町に過ぎなかった「済物浦(ちぇむるぽ)」が、1883年に開港場に指定されて以来、港湾都市として発展してきました。
町の発展の経緯が、1859年に開港した横浜とよく似ています。
開港と同時に、仁川には各国租界が設定されます。
この階段は、かつて清の租界(左)と日本の租界(右)の境界でした。
左の清風と右の日本風、意匠の異なる灯篭が境界線を演出しています。
かつての日本租界に入ると、1933年建築の旧;仁川府庁舎(現;仁川市中区役所)。
相当に増改築され、往時とは雰囲気がかなり異なるようですが、正面玄関のあたりに昭和初期の公共建築っぽさが残ります。
旧;仁川府庁舎の周辺は、「日本人街」として往時の街並みを再現しています。
あたかもロケセットのように建物前面を装う日本風には、様々な意見があるようですが、街起こしの一環と考えれば面白いなと思いました。
ただ、古い時代に建てられ、今も残る木造家屋が埋もれてしまっては、本末転倒かなとも思います。
これらの建物は、かつては長屋だったものの一部のようです。
この2軒はそれらしいと思って撮っただけで、戦前の建物との確証はありません。
こちらは来歴が確実。旧;第一銀行仁川支店。1899年の建築。
現在は、仁川開港博物館として利用されています。
1883年、仁川領事館の出納事務を扱う「第一国立銀行仁川出張所」として開設。
1896年、法改正により「第一銀行」に改称。この建物はこの時期に建設されたもの。
1902年には「第一銀行券」を発行。大韓帝国の実質上の中央銀行に。
1909年、「韓国銀行」に改称。名実共に大韓帝国の中央銀行となる。
1911年、「朝鮮銀行」に改称。中央銀行としての地位を承継。
正面玄関には、今も「朝鮮銀行」と刻まれています。
様々な意見があるのは承知していますが、この建物が、この地の金融の中心的存在だった事だけは確実です。
ソウルの南大門と明洞の間に建つ、1912年竣工の旧;朝鮮銀行本店、現;韓国銀行本店・貨幣金融博物館は、その総本山として機能してきたという訳です。
第一銀行の少し先には、旧;第十八国立銀行仁川支店。1890年の建築。
現在は、仁川近代建築展示館として利用されています。
屋根が写っていませんが、屋根は日本家屋風のいわゆる折衷式のようです。
十八銀行は、今でも長崎を中心とした地方銀行として健在ですが、1877年に「第十八国立銀行」として設立後、初の支店が仁川だったというのは何とも象徴的です。
銀や布生地などの貿易をサポートするために、この地に進出したようです。
その先には旧;第五十八国立銀行仁川支店(安田銀行)。1892年建築のようです。
正面玄関の上のバルコニーとか、ちょっとした遊び心が優雅な感じです。
大阪を本拠とする銀行で、海運や物流をサポートするために進出したようです。
「第五十八国立銀行」は幾多の変遷*1を経た後、1935年には上記「朝鮮銀行仁川支店」に統合され、銀行業務を終了したようです。
*1; 「第五十八国立銀行」⇒1897年「第五十八銀行」⇒1909年「百三十銀行」⇒1923年「保善銀行」を経て「安田銀行」。ちなみに戦後は、1948年「富士銀行」⇒2002年「みずほ銀行」。何だか銀行の変遷史そのものです。
実は第五十八国立銀行のお隣、電車窓の洋館風の建物が気になったりします。
この界隈には、こういう気になる物件が多数あるのですが、来歴についてはさっぱり分かりません。
来歴が分からないといえば、こちらの建物。通称「川端倉庫」。
1942年の建築と云われていますが、それ以上の事は分かりませんでした。
左にロケ地看板が立っていますが、2014年のドラマ「傲慢と偏見」で、主人公たちが暮らす下宿屋として登場しました。
川端倉庫のすぐ傍に建つこちらの建物。
タイル貼りの外観からかなり古いものと見受けられますが、「朝鮮日報中部支局」という看板以外には手掛かりは無し。
小さいけれど重厚な雰囲気は、旧;日本郵船仁川支店。1888年建築のようです。
1880年代、日本の海運は岩崎彌太郎の「郵便汽船三菱」と、渋沢栄一の「共同運輸」が熾烈な闘いを繰り広げていました。消耗による共倒れを恐れた政府の介入により、1885年に両社が合併して誕生したのが「日本郵船」。
渋沢が創立時から関わった、第一銀行と日本郵船。
ここに来るのに乗車したソウル(京城)と仁川を結ぶ鉄道、京仁線の建設にも渋沢は深く関わっています。
何となくですが、彼がこの地に賭けた夢みたいなものが繋がっている気がします。
旧;日本郵船の周辺には、1930年代に多く建てられたとされる、煉瓦造の倉庫が並びます。
こちらの倉庫群は現在、ホールやギャラリーを備えた「仁川アートプラットフォーム」や、「韓国近代文学館」として利用されています。
若手俳優てんこ盛りの2011年のドラマ、「ドリームハイ」の舞台になりました。
更に、2016~17年のドラマ「トッケビ」では、ウンタクとキム・シンがここを歩きます。
倉庫街から山側に向かう斜面に建つ洋館は、「済物浦倶楽部(ちぇむるぽくらぶ)」。
1901年の建築で、当時の各国租界の住民の社交場でした。
玄関は現在左側にありますが、元は右側の張り出し部分に階段があり、中央の三連窓の真ん中が正面玄関でした。
この雰囲気を韓国ドラマが見過ごす筈も無く、「蒼のピアニスト」、「フルハウスTake2」などに登場していた筈(ちょっと曖昧(^^ゞ
確実なところでは、2016年のドラマ「ハッピーレストラン-家和萬事成」のソ・ジゴンの医院、「トッケビ」のユ・シヌ会長の家としても使われています。
済物浦倶楽部から更に上の稜線に、「虹霓門(ほんいぇむん)」と呼ばれるトンネル。
市内南北の交通の利便性向上と、居留地拡大のため、1908年に開通しました。
虹霓門は、花崗岩の石積と一部煉瓦を併用した特徴的な景観から、多くの映画やドラマに登場します。
2013年のドラマ「その冬、風が吹く」では、現在と過去が交差する印象的な背景を担いました。
また、虹霓門周辺には、戦前の建築と思われる古い住宅が多く残り、ドラマにもよく登場します。この住宅も見覚えがあるんだけどなあ。
かつては日本人向けの高級住宅地だったのかもしれません。
何となく、往年の田園都市に迷い込んだようなような感覚を覚えます。
ふとこんなところにも、渋沢栄一すなわち田園都市の夢が残っているような…
実はここで、ドラマに登場する住宅探しをしようかと一瞬悩んだのですが、ロケ地探しには時間がかかるし、今回はリサーチ不足なのでまたの機会とする事に。
かつて各国租界が置かれ、外国人居留地として発展したこのエリアには、数多くの教会が建てられました。
稜線沿いに進むと、「聖公会内洞教会(そんごんふぇ ねどんきょふぇ)」。
最初の建物は1891年の建設でしたが、朝鮮戦争時に焼失。現在の建物は1956年に再建されたもの。この古典的な佇まいから、ドラマにも…(深入りしないでおきます。)
こちらの教会は聖公会だけに英国軍と縁が深く、開設当初から病院が併設され、日露戦争、朝鮮戦争時の際には多くの戦傷者を受け入れました。
なので、それらの戦争における戦没者の追悼の場でもあります。
仁川でひと際目立つランドマーク、「沓洞聖堂(たぷとんそんだん)」。
1897年に原形の聖堂が建てられ、1937年に大幅に増改築されて現在の形となったようです。
沓洞聖堂といえば… 何といっても2002年の大ヒットドラマ「ガラスの靴」。
(またしてもドラマネタに走ってる(^^ゞ
主人公たちの結婚式が行われる筈だった教会として登場。ソ・ジソプ演じるチョルンが、何故かやって来ない花嫁を、緊張の面持ちで待っていました。
「ガラスの靴」でヒロインと生き別れたしっかり者の姉、テヒを演じたのがキム・ジホ。
あれから14年。キム・ジホ姉さんはすっかり姐さんとなり…
2002年「ガラスの靴」 ⇒ 2016年「家和萬事成」

⇒

「家和萬事成」の働き者となりました?
本当の名前は「燕京大飯店」。仁川中華街の中心にある大きな中華料理店です。
2016年のドラマ、「ハッピーレストラン-家和萬事成」の舞台になりました。
他のドラマにもしばしば登場します。
仁川中華街に瞬間移動しております。
実はここが発祥の地とされるジャジャ麺を食べようと目論んだのですが、好天の土曜の午後という事もあり、歩くのがままならない程の人出。
何処のお店も相当な待ち時間を覚悟せねばならず、目論見はあっさり挫折。
「してはチャンポン」とかにも、興味津々だったのですが。
まあ、漢字と英文で内容は分かりますが、何をどうしたら「しては」に?
仁川中華街を北に抜けると、目に飛び込んでくる強烈な色彩。
地図上は地区センターなのだけど、きっと地図の読み間違いに違いない…
しかし、カラフルな色彩攻撃はまだまだ続きます。
実は仁川中華街の北側、松月洞3街界隈は、「松月洞童話マウル(村)[そんうぉるどん とんふぁまうる]」と銘打ち、2014年頃から、街起こしとしてファンタジーに染め上げられているのでした。
寂れた街並みをカラフルな壁画で彩る手法は、こちらではよく見かけますが、ここの凄いところは、家全体を塗り替え、街中に立体的な造形を配置してしまったところ。
手前は商店ですが、奥の三階建ての建物は一般住宅です。
実際にひとが暮らしている街を、ここまでやるかとカラフルに変貌させています。
(まあ、中には版権処理が微妙に気になるものもありますが(^^ゞ
何はともあれ、街中がフォトスポットなので、記念撮影に勤しむ人たちが一杯。
そんな中、人の写り込みを減らそうと、こんな角度の写真を撮る姿は(他人から見ると)どうやら目立ってしまうようです。
人を対象にする記念写真なら、カメラは水平かやや下に向きますが、この手の写真だと、低めの位置から上向きにカメラを構えます。
こんな事をしていると、突然背後から、
「あじょし~、あじょし~(おじさん、おじさん)」と声をかけられました。
高校生と思しき女の子たちです。
こぶ~「ちょる、ぷろすにか?(拙者をお呼びかの?)」←時代劇風の変な言い回し。
高「でぇ~、あじょし。さじん うるちご じゅせよ~(そう、おじさん。写真を撮って貰えますか?)」
変な言葉使いのおじさんにはちっとも怯まず、スマホを差し出します。
こ(さて、ここからどう意思疎通を図ればいいのやら…)←ココロの声
「はい、じゃあ皆並んで~。そっちの子、もう少し中に寄ってー。うん、じゃあ撮るよ、『きむちーず、はな・どぅる・せっ!』。じゃあ、もう一枚。」←突然日本語。
怪しい言葉の連発が、彼女たちに妙にうけてしまいました(^^ゞ
写真は撮れたものの、更に次の言葉が出てきません。
こ「Please, check the pictures.」まあ、この位の英語なら何とか…
高「けんちゃんすみだ。かむさはむにだ~(大丈夫です。どうもありがとう)」
こ「Je vous en prie.(いいえ、どういたしまして)」←何故にいきなり仏語!
ふう、まあ何とかなって良かった。彼女たちも笑ってたし。
ひと安心していると、「あじょし~、さじんじゅせよ~!」
この様子を見ていた、別のグループに声をかけられてしまいました…
「儂の出番は、無いのかのう…」
あー、マッカーサーはらぼじ(お爺さん)は話がややこしくなるから、またねっ!
いい加減記事が長過ぎるのに、更におまけ。
仁川からの帰り道。
ソウル駅で、市庁前のデモを避けてホテルに向かうには、どのルートが良いかと地下鉄路線図を眺めていました。
すると背後から、“Excuse me?”と声をかけられました。旅行者のグループです。
こぶ「なーやー?(俺かい?)」←いきなりぞんざいな口調(^^ゞ
振り返ると、スーツケースと靴の雰囲気から、日本人旅行者だと分かりました。
こぶ~、いきなり調子に乗ります。「日本語、大丈夫デスカ?」
旅「日本語大丈夫です。実は、空港に行きたいのですが乗換が分からなくて。」
こぶ~「こんはん?(韓国語の空港) アー空港ハ、金浦?仁川?」
旅行者「仁川です。直通のA'REXに乗りたいのです。」
更に調子に乗るこぶ~、構内案内図の前に手招きし、
「私タチ、今ココイルデス。アノえすかれーたーデ1階上ガッテ真直グ、1階下リタラ、A'REX窓口アルデス。コノ水色まーく、目印ナルデス。」
旅「有難うございます。カムサハムニダ。」
こ「お役に立てたのなら幸いです。『あじゃぁ、ふぁいてぃん!(頑張ってね!)』」
立ち去りつつ旅行者グループ、「今のひと、発音だけ妙に明確だったね。」
何処にいても、つい怪しいおじさんになってしまいます(笑)